ひまわり

ディクロニウス文明来たる!! ( ・ิω・ิ)ナンノコッチャ  (  ) (  ) シ~ン

バラッサ-サミュエルソン効果

『「神よ、私をどうぞあなたの下で使ってください。私に仕事をください、そして、私に何ができるかを教えてください。

私の光を生きて、私の真実を語り、この光をもって世界を駆け巡る機会をどうぞ私に与えてください。」

と、神に向かって語るコミットをあなたがした時、神はあなたに仕事をくださるでしょう。

あなたはなにをする気があるかを明確に伝えて、神と接触をはかってください。

そして、神にどんなご褒美がほしいのか伝えなさい。

あなたの周波数を高めるという自分自身に対するサービスになるかぎりにおいては、あなたは神と交渉することができるし、好きな契約を結ぶことが可能です。

あなたが、自分自身に対するサービス精神を持ち、自分を進化させることにコミットしていれば、まわりのすべての人々をも高めることになります。 それが奉仕です。

奉仕活動とは、人々のなかに出て行って、自分を殉教者にして、「私はあなた方を救ってあげます」といったりすることではありません。

奉仕活動とは、あなたが接触するすべての人があなたの歩む旅によって影響を受けるような人生を歩むことです。』

 

5月に入り、四月病は収まってきたようだ。

この時期のテーマは散漫なのだが、最近は今時の経済学を”再考する”必要に迫られている気がする。

今、何年も前から言われていたインフレ懸念がいよいよ現実のものになってきた感がある。

インフレといえば1970年代だから、若い人はこれから未経験の世界を体験することになるのだろう。

もっとも取り巻く状況はあまりにも違う。 それを読むのは難しいのか?

 

最近、ドル高がどうのとFXなどをやってる人は(密かに?)騒いでいる。

なんでもだいぶ儲けてるようだが、ゼロサムゲームに本質的な価値を見出さない自分には関心がない。

だが、経済の本質というのは常に興味深いとは思う。 それは地政学的な”力学”を感じるからね。

これも一種の自然現象としてとらえられないか、という昔の自分にはなかった”科学的な”関心ならある。

そもそも為替において、なぜ通貨の相対価値が変動するのかというのからしてよーわからんのだ。

もっとも、それがようわかれば(FXなどをして儲けるのに)苦労はないんだろうが。。

昔(自分の学生時分)からあった仮説に購買力平価説(Purchasing Power Parity)がある。

 

この仮説の前提になっているものは、自由取引では同じ物なら同じ値段として均衡していくというもので(一物一価)、これが絶対的な購買力平価の相場というものを形成する。

イチモツ一家とか読まないように。m9(o_o)

平たく言えば、たとえばハンバーガーが1ドルであるいは100円で買えるとしたら為替レートは1ドル100円ということである。

ビッグマック指数などというのがそれだ。 マイ指数を持てば、仮説を立て検証しやすいかも。)

一方、相対的な購買力平価というのがあって、物価上昇率の比が為替レートになるという考えである。

物価上昇率が高ければ、その分購買力が下がる(減価)するので、この方が現実的だし、実際のところ、絶対と相対というのはこの場合、相容れないものではない。

つまり、ざっくしだが、よりいっそう現実に近いモデルとなると捉えるべきだろう。(力学もそうだ。)

乖離はあるもののとくにドル円は連動しており、為替変動理論の基本としては大筋これでよさげだ。

国際通貨研究所 購買力平価と実勢相場 直近では理論値を突き抜けちゃってる感はあるけど。

ただ、残念ながらここまでは昭和の経済学(もちろん、基本は変わらんだろうが)の話かねぇって事。

実際はもっともっと古い理論だもんな。 そう考えると西洋の経済科学先見性は舌を巻くほど凄ぇわ。

 

これを踏襲しつつ限界を超えるには、物価上昇率決定メカニズムを解明せねばならんことに気づく。

近年、なぜ日本だけがデフレなのだ?(゜ρ゜) などという議論が紛糾していたようだ。

ま、一般消費者としてそれも悪くなかったが、国力という観点から言えば落ちているのは明白。

日本が国際競争力を失ったことは、(ハロッド)バラッサ-サミュエルソン効果とやらで説明出来るとか。

これは貿易財部門の生産性向上は非貿易財部門の賃金上昇を招くというもので、まぁそうだろうな、と思うがこれは先進国は物価が高くなるということを説明しているので、日本だけはもはやそのサイクルから外れとるということだ。

な~んも特別なこと言うとらん。 当り前じゃないの。

たとえば、こういうことですよ。 日本は良くも悪くもこうはならんということですな。

個人的は、日本の方が安心して暮らせると思うが、画一的で選択肢もないんだよな。

サミュエルソンは、不況のときはケインズ経済学を、好況のときは自由放任をという原則を説いたようで、これも当たり前のことだが名だけ日本を名乗っとる他民党政府がこれをしなかったからだ。

結局、彼らがやったことは数学による形式化であって、理論的にはそれが扱いやすいってことなんだな。

その詳細については、今は取り上げんでええか。

俺らが市場に参加してるか否かというのが本当は決定的なのだ、てな結論に達したのは言うまでもない。

そうなれば誰が首相になろうがどーでもよい。 ん? どこかで聞いたような。

そして、これが大事なことだが、それはあくまで俺たちの胸先三寸によらなければならんのだ。

国賊どもとの戦争、落とし前のが先決かもしれんしな。