ひまわり

ディクロニウス文明来たる!! ( ・ิω・ิ)ナンノコッチャ  (  ) (  ) シ~ン

量子運動量計算

『死の道案内人の仕事は、人々に手を貸して許しの場所に連れていき、人を責める気持ちや人を裁く気持ち、自分は犠牲者だという被害者意識を取り払って、死による解放を可能にしてあげることです。

これを達成するのにひとつの技術があります。

というのも、最後の瞬間を迎えるのに、人は多くの場合、許しに対して心を開くのです。

死につつある人たちが創造者に近づくにつれて、時間が崩壊し、一瞬一瞬が人生の切々たる教訓のときへと変容し、素晴らしい機会となるのです。

許しという行為のもっとも重要な要素は、究極的にはあなた自身に対する許しです。

というのは、すべての裁きを下したのはあなた自身であり、許しを必要としたのもあなた自身にほかならないのですから。』

 

台風は形が崩れて上陸もなさそうだが、関東の太平洋側に低気圧の中心があって風や雨雲は流れ込むな。

 

リー群の由来となっているソファス・リーは無限小変換と変換群というものを研究した数学者であった。

ならば、その考え方を知ることによって、自ずとリー群の心が見えてくるのではないだろうか?

ある意味、ガチ数学寄りにはなるが今は何かを追い求めてるわけでもないので、精神的には余裕がある。

暇とも言えるがw いや、やるべきことはいっぱいあるんだろうが、それだけじゃヤなんだね。

 

群の定義というのはあるが、そのうち本質は

  • 常に自分自身に変換される写像がある。(恒等写像
  • 変換される前の元に戻る写像がある。(逆写像

という、この世(定義域)とあの世(値域)を行き来出来る写像がある集合でっせってことなのだ。

変換群とはどうやらそれを指しているのだ。

つまり、その根本的発想は=圏論(もしくは線型代数)なのである。

モナドなんかに嵌っていたときに、恒等射なんてなんの意味があんの?と思ったが、これが数学ではなく物理的な意味でのゲージ(関数)対称性を示していたわけだね。( °Д°)ナ~ル!✨キラ~ン

では、無限小変換とはなんなのであろうか?

無限に小さいんだから、これはほとんど影響ない、つまりほぼ恒等変換てことである。

それは連続写像における微分ってことなのである。

無限に細かくなる集合$\mathfrak{g}$。。  アカンやつや。 (oФAФ)o  (o_o;)ノ゙ <●>π  (  ) (  ) 

$\mathfrak{g}$のふたつの元 $a,b$ は交換関係 $[a,b] \equiv ab-ba$ において閉じており、ヤコビ則を満たす代数系をなす。

そして、それこそがリー群の死神こころだったのである。 道理で物理と相性がエエわけだ。

だから、リー群は無限回微分可能な多様体なんて側面も持っているのだ。

これは、いわば複素数がもつ”虫のよい性質”の幾何学的一般化なのである。

 

量子の世界の特殊性というのは、量子ゆらぎの分だけ運動の経路が定まらないんだね。

これは(存在の運命を司る)天体のホロスコープが計算出来ないようなものだ。

そのような困ったちゃんの量子の経路積分を編み出したのは、ファインマンである。

その元になったのは、ディラックの論文中の「時刻 tt + Δt の2状態間の遷移の振幅が、該当する系のラグランジアンの指数関数に対応する」というものだったらしい。

要は、シュレディンガー波動関数(量子運動方程式)の時間発展のことだが、これをラグランジアンという理論的な無次元量の指数関数 $\displaystyle exp \bigg( \frac{i}{\hbar} \int_{t1}^{t2} L(t)dt \bigg)$ で経路なんてどうでもエエ\(゚`∀´゚)/ とな。。

なんで指数関数なの?ってのは昨日明らかにしたように(微積分の)ラプラス変換ですぜ。

これ自体は一般のギジツの世界線で既に使われておる。(ま、あんまし使ってないでしょうが^^;)

つー形になってるってことは、実際に計算する気マンマンってことだが。(´ཀ`

これを量子内積群 $\langle q_{t_1} \ | \ q_{t_2} \rangle$ (無限次元量子場)ってことに汁。m9(o_o) 知るか~~!!щ(°д°щ)