黄泉帰る九州王朝
こいつ、す~ぐ泣き入れてきやがる。 これだから金しかねーキモオタわっ。
こんなもんなんすよ。 ビルダーバーグ・ゲート坊なんて。
どうやったら、いい年こいてそんな虫みたいなメンタルでいられるんだ?
悪意に満ちているのおめぇだろ!<●> なんでおまえはマスクもワクチンもしないんだ?
そもそも Windows10 使ってやってんだから、”お勝手口”から直接入ってコルタナに言わせてみろ!
もちろん、そんときゃ盛大に笑いのネタにさせてもらうわ。ヾ(^0^ゞ
おまえが開発させたドミニオンの不正ソフトで売電が勝ったこと(に汁)にでも満足しとけや。
三つ子の魂百まで。 こいつは皆ご存じのとおり医学知識0のコンピュータおたくである。
コンピュータのウイルス&ワクチンソフトの関係から、実地のビジネス(?)モデルを得たというわけ。
さて、邪馬台国は畿内(京大説)にあったのか、九州(東大説)にあったのかで今も論争になってるが。
これらはいささか別物を指しており、尚且つ歴史的な経緯で見れば両方正しいと言えるのだ。
どういうことかというと、邪馬台国は大和国のことで歴史的には九州が畿内勢力の配下となった。
邪馬台国とは、よこしまで底辺みたいな蔑称。 そんな名を正式な自国名にするわけなかろう。
こんな蔑称は本場では使われない。 そういえば九州というのは背景が全然”田舎”ではないな。
つまり、九州での大和国のトンキンライクな呼び名がタイムライン的に潰れて定着しとるんだろう。
唐に行った遣朝使の九州の者(大宰府と思われる)と畿内の者(朝廷側)は、我こそは代表である、とあろうことか中華皇帝の前で喧嘩を始めたという。
つまり、この争いは昔っからなのだ。 三つ子の魂なんとやら。
思い当たるフシがあるが、畿内が朝廷側なのは当たり前なのだが、大宰府にも唐に対する窓口(朝廷の監督役)という自負がある。
ここに遣唐使が対等な関係である、という単なる思い込みの齟齬を見る。
対等だと思っている朝廷側からみれば、大宰府は身の程をわきまえずに厚かましいなと思うだろうし、臣下であると思っている大宰府からしたら、朝廷は身の程をわきまえずに恥ずかしいなとなるのである。
なにより、監督責任が生じてしまうのだ。 お互いの立場への理解や意識合わせが足りてないのは明白。
客観的に大局を理解していたのは、大宰府と言っていいだろうな。
大宰府から見たら、朝廷は世間知らずの井の中の蛙かな。 大和がただの王朝だったらだけどね。。
まぁその気質はいかにも畿内っぽいんですけど。
筑前から金印が見つかっておるそうだが、これは中国皇帝の冊封体制配下への国王印で間違いない。
この九州王朝最後の年号が大化(~700)。 大化けとはまるで予言チック。
はたして701年の大宝律令より、大和朝廷(天皇家)の年号大宝に切り替わったのだ。
だから、大化の改新!( °Д°)クワッ とか大宝律令!( °Д°)クワッ とか気合入ってんだけど。
実際、日本(大和連合国)を名乗るのはこっからでね。
それ以前の史実は邪馬台国(´ཀ` 古墳時代(´ཀ` なんて書かれ方をしとるというわけ。