陽だまりの都
最近はよく東京の下町方面に散歩にいく。 こっちの飾らない空気感が好きなのだ。
先日は入谷から南千住や足立区の方。 荒川沿いにある鉄工所の敷地に生ったものなんだろう。
みかんがダンボールに入ってて、お好きにどーぞなんて書いてあった。
昨日は上野から合羽橋、浅草なんぞをブラブラ。
親父さんにすい臓がんで先立たれたと語っていた1丁目の定食屋はまだやってるだろうか?
狭い土地柄で、子供の育成や地域の人々の憩いの場にと個人の厚意で作られた公園があった。
水心あれば魚心。 保母さんたちと子供たちが遊んでいた。
その端っこには、工事現場の警備員のおやっさんとか私が煙草が吸えるスペースがあった。
このミスマッチな光景に、めくじらをたてるような野暮なやつはここには一人もいないのだ。
それがどれだけこの殺伐とした今の日本で有難いことか。
良くも悪くも、いつもの外国人観光客もまったく居らんで閑散としているが、まぁこれが普通かな。
俺も野暮な見物人に過ぎないが、地元民だったら観光地になってるところをうろつきたくはないかな。
麻布十番の連中も同じようなもんなのかね。 商売してた家は郊外に引っ越さなかったからね。
隅田川のほとりを散歩していると、水面に映る陽光のキラキラ達のなんと美しいこと。
水は善いものである、か。 文明っつうのは必ず川の近くに栄えるんだよ。
水はそれぞれの旅をして、また大いなるひとつのものに還っていく。
カモメや通り過ぎる曳航船の音。 橋を渡るトラック群やスカイツリーはそのまま絵画のようだった。
でも、なぜか頭の中で一瞬再生されたのは”神田川”であった。 それじゃない!!
荒川とか隅田川なんて歌は聞いたことがない。 あってもどーにも気にくわなかったりするのかもな。
*春のうららの隅田川、なんつーのはありましたな。
荒川区民の歌「あらかわ そして未来へ」という無駄にいい曲もありましたw
さて家に戻ると、だいぶ片付けたと思っていた庭が、まだ古い植木鉢や園芸棒、竹ぼうき、ホースなどが無造作に転がっていることに目が付く。
これはこれで風情のある見慣れた風景ではあるが。。 どうも野暮なベッドタウンには調和しない。
今一度、屋内のものも含め徐々に整理していかねばね。 けっこう段取りがあるな。
割れてる庭用のゴミ箱の替えとか、腰をかがめなくていいちりとりは、ホムセンで買っておいた。
まず、不要な植木鉢の土をザルでふるって土と多少の石だけ庭に戻す。
園芸棒はイトノコでゴミ出し出来るよう切断。
親父が風呂に引いてたプラスチックすのことカーテンレールでつくった花壇も、昭和の名残をとどめる力作であったが、もう主がいないのと鉢がなくなったので不要と取り外した。
あとはザッと雑草を取り除いて、やっと生垣用の(作業)スペースがあいた。
動かせんもの(藤の木とか)はとりあえずこのままにして、あとは品が到着してから検討しよう。
趣味でもないだけに、庭仕事ってのは疲れるんだよな。(それなりの達成感はあるもんだが。)
さーてと、残りもんのサンマの竜田揚げをおかずに、どんぶりで梅茶漬けでも食いますかぁ。