灰皿と外食と私
外食にも慣れて来た。
生ごみはもう出さないので、生活臭はだいぶ(良くも悪くも)払拭された。
ほのかに明るい帳の降りた時間の、地元での外食なんて残業、残業で終電ダッシュなどをしてきた自分には夢のような時間である。
一人でも、思わずにやけてしまうほどウキウキするww(いや、一人だからというべきか。。)
こういうとき、わりと一匹狼で生きてきたよかったなと思う。
人の行く裏に道あり花の山、てな気分である。
外食は飽和気味ではあるが、コストパフォーマンスは良く、よりどりみどりである。
かつての”ファミレス”もファミリーなら家で食うことに気付いたのかもしれないw
考えてみれば、なんか変だなと思うことはいっぱいあった。
その無駄を省いていけば、まぁまぁな世界かもしれないと見直している。
皆、そのような”内向きな努力”をしているのだ。
それが”おいしさの秘訣”なんだろうね。 経営者にだけおいしいなんてのはねw
そういう意味では”質の高い普通”という感覚が大事なのだろう。
それは素晴らしいことである。 狂ってるのは政治の世界だけで実体は違う。
強いていえば山っ気のような元気はないが、それすら心地よい”弛緩”に感じるのだ。
街の風景ってのは、たぶん自分の心象風景を映しているのだろうが。
だが、なにが幸せなのか、ほんとにわかりにくくなっている。
強いていえば、それは自分で選び決めるものだ。その選択肢はある。
幸せは誰しもが追い求めているものであるが、それを放棄しない限り誰も幸せなんかにゃなれんw
いやいや、それは幸せと呼んじゃアカンやつや。
さて、インターホンも新しくして、二階の無線子機で受けれるようになった。
あとはボチボチ母の死亡に伴う事務書類の類が来るので、しばらくそれらに目を通し、必要なことはきっちりやる、と。
それが本当の供養である。 雪見灯籠も注文しようかな。
ところで、”我が”相模原市が伊勢丹に逃げられたことが(どうでもいい)ニュースとなっておる。
この前も香典返しを見に行ったら催事場とかたらい回しな感じで速攻出てきて町田逝ったわ。
暗いし、無駄だし。誰が利用するんじゃいて感じ。
ホント、この市長センスねーんだよ。
ま、図書カードも作ったことだし。(実は相模大野図書館の物理の本は全部読破している。)
外食メインになるかもだから、揚州ラーメンのチャーハンは旨かったぞ。
母の名でもある”やよい”軒は前からいいと思ってるけど、久々にハンバーグ和風おろし定食を食べて、なんか減量苦に耐えて計量無事終えた後食うボクサーになった気分で、沁みたねw
ゆったりとしたジャズが流れているのがいい。
年金の手続きをしてた時ね。住所相模大野6-6-6だぜw
ちなみに前は六本木に住んでてね。
六本木も実は漢字の六六六に(9/11,3/11などの)十一を足したものなんだ。
血縁者のみの葬儀で前に座っていた人は”森”さん。 これも上に同じ。
ま、そういうこと。俺達はそういう血族なんだ。
もうどうでもよくなっちゃったけどね~。
魅力ある街に、だ? おまえが市長なんだから駄目に決まってんだろ!
俺が住んでるっていうだけで、たまたま世界の、いや銀河の中心にここがなってるんだぞw
でも、東京ってもうコンビニで煙草吸えねーじゃん。
その点、神奈川は十分魅力的でございます。(ロ_ロ )シメシメ
ま、禁煙とか電子たばことかになっていくかもしんないけどね。