地上最強のプリケツ👁( ・`ω・´) ง
『地球は自我のバランスを探し求めています。
自我はすべてのものからなる合成物であるので、それは、あなた方の地球外生物としての自我、多次元的な存在としての自我、男としての自我、女としての自我のすべてのバランスをはかる調和振動です。
あなた方は信じられないほどに全人的な存在です。
そして、あなた方は、いま、それを理解しはじめています。
あなた自身が花開き、この完璧な姿になることを自らに許してください。
あなたを妨げているのは、あなた自身以外の何物でもありません。
この完結をあなたが自分に許すとき、想像もつかないような展望があなたを待ち受けているでしょう。』
昔、よく(自分たちの)ビデオ見たいな~なんて二人で言ってたな~。
当時はホームビデオもなかったから。 自分たちの方が面白いことやってるって自信あったんだと思う。
なんだよ~って黒歴史みたくなる可能性もあって、多分両方なんだけど。
二時間以上、ずっと俺がヘッドロックしてたなんてこともあるからね。 今思えば巌流島ですよ。
試合というよりも アナコンダ vs ワニ の死闘という感じで、いくところまでいくしかないの。
もう二度としない、出来ないっつうのはよくわかっていた。
俺が見たいのは、あまりない俺が勝ったパターンだね。 とくに打撃以外。
打撃では、”事故”みたいな感じでKOしちゃうことも(めったにないが)あるから。
あるとき、(教室の後ろの)棚のところに相手がぴったし寄せる形で倒れたのね。
なんでそんな態勢になったのかわからんがw でも、とにかくめったにないチャンスだ。
飛んでエルボー? 俺は軽いよ、効かん。 ニー? てか、微妙に棚が邪魔なんよ!щ(°д°щ)
てか、それが狙いでそういう態勢をとったのかも。。 要は見つかったゴキブリのとる経路だな。
とにかく間を開けたら立たれてしまう!
っつうことで、とっさにケツを落としたんだわw 煮物に落し蓋するみたいなもん。
どう料理してやろうか、なんてよく言うじゃん。
その直前まで、まさかケツという拳で戦おうなんて発想ないよw そういうもんなんだよ。
そのとき、体が勝手に最適解を選ぶんだ。 だから、自分がどうするかなんて事前にわからないんだよ。
だから、(とくに体のない)プロレスラーでケツを使った攻撃ってよくわかる!
それだって体がある方が絶対有利なんだけどさ、そもそも誰もケツで戦おうなんて思わねーよw
地上最強の極真ケンカ空手館長の松井の試し割が15枚!( °Д°)クワッ なんてなってるからね。
シロウトのケツのが勝ってるじゃんw 打撃系のトップ( ・`ω・´) <<< ドタバタしたシロウトლ(⁰⊖⁰ლ)
相手に背を向ける、セオリーからしたら悪い態勢で気持ち悪いし。 逆に思い切りが肝心。
とにかく、それでいい感じに中腰に戻って、また相手が立ち上がれんように無限回連続で出来るのw
ローラン展開ですわ。 思いがけず、こりゃええわいみたいな感じ。
そしたらあっさりギブアップしたでw 笑いながらな。
え?って感じだったんだけど、絶対ギブアップとかしないやつが。 打撃でギブとか。
男は永遠に尻に敷かれると悟ったときに絶望するのかも。。
で、なんだか知らないがそれ禁止になったからねw なんでやねん、数少ない俺が勝てる技を。
技が禁止なのか、そのシチュで(その攻撃わ)ってことかよーわかりませんが。
でも、ギブアップしてるし、まいいかぁなんて俺も分が悪いくせに甘いんだよな。
思えば、これも打撃の一種かね~。(ということで、プロレスにも打撃系が存在しまする。)
それが、俺たちが取り決めた最初で最後の事前約束というかルールになった。
いや、効果は限定的になろうが金網でも使えんじゃね?とフト思ってさ。
逆にリングじゃそういうシチュにならん。
隅にはケツだよ。 ケツ使ってない時点でおまえらまだまだだから!m9(o_o)
いずれにせよ、そんなことになるなんてお互い予めわからない。 だからハマるんだよ。
「プロレスと純粋スポーツの差は、ここまでが真剣勝負だよというはっきりした線がないことです。
そのレスラーによっても違うし、いろいろな人の考え方によっても違う。
これがしっかりしないかぎり、純粋なスポーツとはいえないと思います。
だけど、プロレスって素晴らしいスポーツです。
それは、人間を感動させるスポーツだから。
応援させて、笑って、泣いて、全部させる力がプロレスにはあるんです。」 ジャンボ鶴田
ま、方向性ってものがあって積分スタート地点に戻るからねって感じで。
要はローラン展開の特異点のみの積分値が(値として)残りやーす(oДo )ゞ
というのが留数定理である。 逆演算(微分値)だがねって言わせんな。( ゚д゚) 、
じつはここまでは一回やったことがあるのだが、ちょっと結果ありきすぎてようわからんかったかも。
要はコーシーの定理だ、グルサの定理だとね。
定理だって、もともとの命題が証明されたものだ。(それだけに水戸黄門の印籠になってしまうのだ。)
てか、自分だって今でもようわかってませんからな。( ̄ー ̄;)ハハ
それは、一回は馬鹿正直にやってみる(道を辿ってみる)というのをしなさ過ぎたから。
ということで定理は定理としてもう使えるのだが、そこまでのストーリーですね、複素関数論ってのは。
だが、それで終わりじゃないんよ。 山登りのとりあえずの目標地点みたいなもんで。
ここまでが言ってみれば留数積分!( °Д°)クワッ みたいなコースかね。
最終形態がないから、拡張性をもたすという意味で”(複素関数)論”なのかもしれないな~。
ということだけ伝えて終わっておきますかぁ。