株バブルセメント
株高は国民に幅広く恩恵あるって事実だろうな。
実体経済との乖離がある、というのはもちろん誰の目にも明らかだが。
で、これが実体経済を軽視する、していい理由にはならんてことも。
そもそも誰でも買える株価なんつーものが実体経済を反映させとる必要性ある?ってことなんだよ。
株は一種の仮想通貨いや、幻想通貨かもしれないがw 資本金依存なんで勝手には刷れんだろ。
猫は利益を出すからかわいい(人気だったりする)のか。 関係ないじゃん。
ま、招き猫なんてのもありますが。。
そりゃ財務諸表とかが企業の実体経済を反映してなけりゃ大問題だけどさ。
そういう指標を株の売買基準にはしにくい時代になったってのはあるでしょうが。
一攫千金を狙っとるわけでもない堅気衆には、それこそどうでもええわ。
売買は切った張ったのただの元締めドリブンのギャンブルじゃん。 手法やノウハウはどうであれ。
政府公認というだけでは、その仕組みに真の公共性があるとは言えんだろ。
それなら仮に潰れたっていいわけだよ。 そんときゃ誰も支えないし、支える理由がない。
これまでは、日銀というただの民間銀行が支えるだけだったが。 それこそ本当のバブルだ。
てか、バブルのときでさえ業種間格差こそあれど、それなりに実体経済もよかったからね。
何かが実現化するには、それが実現する理由がなければならんのだ。
だがしかし! 今や株価を買い支えているのは株を買いたいってな人の金じゃない。
そういう仕組み、流れが出来れば、株式市場はもはやバブルではなく資産運用の底固い足場になる。
そうなれば、ますます預貯金は株式市場へシフトする循環が生汁。 有能!m9(o_o)
だから、俺は(稼ぎのない)積立niちゃんになっとるのだ。 実質は、な~んもしとらんが。
俺も(大小に関わらず)資産運用って大事だな、と考えるきっかけにせにゃならんのだろうな。
年金といえば、俺は長年払ってなかったが過去に遡っての支払おk、という特例がきっかけで加入した。
だから、そんなものを特例にする必要はないんじゃないかって思ってる。
実際、若き日の自分が考えてたこともわかるし、今の年金の実態としては当たっているのだ。
だけどこれ、年金制度そのものは絶対必要じゃん!と痛感したんだ。 それはそれ。
ちょうど運用の失敗や不祥事や構造的な問題なんてものが明るみに出ていた頃かな。
払ってなきゃ貰えないのは当然だが、加入するのが当然、なのではない。
一事を万事に出来れば、瀕死の日本は甦るだろうね。 その道のりは果てしなく遠いが。
政府と国民が真剣に問題に向き合ったときに、固定概念は変わる。
自分のことだと思えれば。 そもそも元来政治家というのはそれを知り抜いていた。
今のお子ちゃま政治家たちと違ってね。
そもそも、すべての概念は少なからず固定概念であるハズだ。
それをわざわざそういう言い方をするのは、概念のモナドを示しているのだろう。
固定概念を持つのも自律性の表れであり、己がブレないためには必要不可欠なことである。
だが、その固定概念に固執する必要があるのか?を問うということなんである。