人のゆく裏に道あり中山道
いやぁ祟りで更新休んでました。( °∀°)ワハノヽノ \
PCのフタが冷たいもん( ・ω・ ) なんかしばらく冬眠してたいんだが。。
今ならコロナに罹ったった(・ω<) なんていう言い訳もきくというねw
ま、実際罹ったらいろいろ大変なんでしょうが。
てか、留守中に限って回覧板の配布物がね。。(あるある)
相変らず、ちょっと板橋とか散歩してて旧中山道に感心した。 むちゃくちゃかっこいい!!
ま、残念ながら現代にその姿を留めてるわけではないけれど、自分の目にはその姿が浮かんできた。
池袋のあるお隣豊島区の人間とかから見ると、板橋?何もないじゃんみたいな感じなんだけど。。
それは感性が違うわけですよ。(多分)
中山道は東海道と同じように東京と京都を結んでいる幹線道路だが、内陸系のルートなわけだね。
中山道は起伏に富んでて良くも悪くも渋いんだね。
こっちにもやはりお宿がたくさんある、というか69次あったのだが浮世絵なんかには残されてない。
と思いきや、池田英泉や歌川広重による木曽街道六十九次なんてものがありやした。
こういう通りの宿場町に住んでる人って、全然田舎の人じゃないのよ。
ヨーロッパの地中海沿岸の人達と同じ。
こっちの方なんて、いまだに気絶するほど美しいじゃん。
この美しさは日本にとって欠けがいのない宝である。
まずどこの掲示板にも屋根がついている。 これですよ!この手間暇かけた心遣いの美しさなんです。
金ぴかに塗ろうとか、そんな金閣寺とかいう成金趣味のクソ坊主とはセンスが違うわけですねw
江戸幕府が諸大名の謀反を警戒して街道に設けた関所では、入り鉄砲に出女を取り締まっていたという。
それなーん?(゜ρ゜)
ま、入り鉄砲というのは江戸に入って来る鉄砲ということで、これはわかりますが。。
江戸から出る女というのも取り締まる対象だったんですな。
これは江戸時代は、大名の奥さんと子供は人質として江戸に”住まわされてた”ことに由来するそうで。
暗黒の時代じゃねーかよw
そうまでしなけりゃ、江戸なんて誰も見向きもしなかったんだね。
でも、それはどうやら大名が自発的にやったことが発端のようで、それで右へ倣えになったのかと。
忖度じゃないの。 昔っからかよ、この小心者どもわ。
ま、町人衆から絶大な支持を得るような将軍なら間違いなかろうっていう人徳もあったと思うよ。
でも、関所っつうのは後出しだったんだろうなw
虎の威を借るヤツぁどこにでもおるっちゅうこったな。
自転車で、入り鉄砲に出女を警らしている関所のお役人に声をかけてみた。
「拙者、不要不急のGoTo近隣トラベラーだが猛烈にうんこしたい。」(´;ω;`)プルプル
「あ-、ならこの先を右に曲がってしばらくすると駅がありますから、松屋とかローソンとかありますお。私も時々借りますぅ。」(^▽^)/
深々とお辞儀をした。 「お気をつけて。」(ロ_ロ )ゞキラッ💩