ひまわり

ディクロニウス文明来たる!! ( ・ิω・ิ)ナンノコッチャ  (  ) (  ) シ~ン

寸勁線型連環唐手

空手の構えに猫足立ちというものがある。

なぜこんな窮屈な姿勢をとるのかようわからんかったが。。

実際にやればわかるが、オーソドックスな半身の構えから前足で蹴ろうと思ってもいきなりは蹴れない。

万人が構造上、そうなっているのである。 一度、後ろ足を送る(ステップイン)か後ろ足に体重を移動させながら前足を引き付けて蹴るしかない。

つまり、相手に近いところにあるにも関わらずジャブと違い2ステップ掛かってしまうのだ。

しかも足は腕に比べ重い。 そんなわけで、スムーズに出て来ないのだね。

もうおわかりだろうが、猫足立ちは蹴っている動作の途中で身構えているという異質な立ち方である。

猫だ!おまえは猫になるのだ!!へ( °Д°へ)クワッ

蹴り足は体重を支えるという役割から予め解放させておくわけだ。

チンコ蹴ります蹴りますチンコ へ( ・ω・`へ) というわけである。

当然、本人も相手もなにもしてなくても非常に疲れるという緊迫感が生汁。

ここに武術と格闘競技の元型臨界点、ジレンマが明確に存在する。

格闘競技においては急所攻撃は一般に禁止されている。 言うまでもなく危ないからだ。

だが、危ないとはそれが”有効”であることを意味しているのであり、本来優先度は高いハズである。

そこが実戦(実践)への分水嶺となっている。 競技に勝ちたいのか身を守りたいのか?

逆に言えば、競技ごときで真剣は出さんということである。

 

富樫氏は我流でありながら、極真空手全盛期のオープントーナメントでも4位に入っていたな。

*これは記憶違いだったようで5位でした。

我流と言っても、そこは伝統空手をベースに独学したということであろうが。

こういうものは本来”秘伝”なのである。

空手の原点は唐より沖縄に伝えられた”手”にアル。

地名は文化遺跡である。 武漢という地名も伊達ではないのだ。

拳とは拳(こぶし)を含んだ7つの部位を示している。フラワーオブライフの内円に対応しとるね。

”手”のタイ国における分派であるムエンタイは競技に本来の拳の一部である肘、膝を禁止していない。

だから、その分だけ実践に強いと言えるのだ。

もちろん、制限された中での強さというのもアルが。。

カポエイラというブラジルの武道はもともと鎖に繋がれた奴隷が抵抗するために編み出されたものだ。

その制限がいつしか型(舞踏化)になったのだ。

競技空手もしばしば”空手ダンス”などと陰口を叩かれたもんである。

 

箙というのも弓を入れる入れ物であり、数学の基本は武術なのである!( °Д°)クワッ

数学オリンピックは頭デッカチなものはやめて、まず体幹が強くなければ解けないとかねw

環とは点取り虫ではなく、全てが繋がっておる(錯体である)という神聖数学思想なのだ。

よくワンツーなんて言い方するけど、これはジャブとストレートを一連の動きで連結させた動き。

コンビネーションと呼ばれるものだが。

これはワンツースリーフォーでもいいのよ。 だんだんタメが効かなくなってグダグダになるんだがw

ポテンシャルエネルギーを使い切ったエントロピー極大状態ですわ。

それをいかに補填しながら”破壊仕事”するか、という物理問題なんだが。

このとき、力を伝える経路は緩めているというのが中国武術の肝だったりする。

点の攻撃が繋がれば、これは線でアル。

線型とはやはり武術の型だったのだ! 群型で言えばブルース・リー群だったわけだね。

(一般線型群の正規部分群がリー群)

群はいっぱいあって数学者でもようわからんらしい。 拳法もまた然り。

これは型は特定の型を持たない、という逆説的な言い方も出来よう。

線が連結すれば、それは神聖幾何学の基本とも言われておる円になる。

それが環(リング)(ง・ิω・ิ)ง 生物ー化学ー物理ー数学ー論理学ー哲学もまた連環。

プロレスラーが総合格闘技で、相手をマウントしてるのに有効な攻撃が出来ないということもあった。

ここで参考になるのはジャイアント馬場のココナッツクラッシュという今は廃れたプロレス技である。

これは相手の頭を自分のももに密着させてその足を地面に打ち付けるという、八百っぽく見える技だ。

もちろん、これは振動を脳に伝えているのであり非常に危険な技であると言える。

(強いて言えば、逃げられんのか?というツッコミどころはアルが。。)

立ち技競技でなんでこんな密着してんだ、というシーンがあるがこれはその方が安心だからである。

魔裟斗の言う内側に避けるというヤツですな。(ง・ิω・ิ)ง 魔裟斗が言わなくてもそうなんですが。。

距離をとらなければタメがとれないというのは、野球の打撃でも言えることだろう。

だが、近年はベタ足に近いまま一気に腰の回転力を上体に伝えるというのが主流になりつつアル。

体の力さえ伝えられれば距離は要らないのだ。 一割台の大仁田正平も聞いとけや!( °Д°)クワッ

重心を低くする猫足の”窮屈で変な構え”というのも、タメを内側に蓄えとるということなんだね。

打撃のクラウチングスタンスも同様だが、これは頭が動いてしまうという副作用もアルな。

私も昔拳法をカジって剛柔流、極真、プロボクサー、少林寺自衛隊員(徒手空拳?何か知らんがそんな名)などと異種なんちゃって格闘してジャレたことはあるが、間合いはともかく実践ではとても使えん。

それだったらガチのプロレスごっこというか、取っ組み合い(スパーリング)の方が数百倍タメになる。

総合格闘技ではなぜか有効になってしまっておる腕ひしぎ逆十字は、ブリッジでヒヤヒヤのところで極められず脱出するというのを体で覚えるのも、そんなことからである。

ブリッジが出来ない? そんなもん俺だって出来ねーよw だが、それは本気になってないからなんだ。

そんなものは本来誰かに教わるもんでも練習するもんでもない!

痛い思いをすれば、その恐怖が条件反射としてそう動くことが自然と身につくということナンである。

道家に、(柔道)技は力ではなく瞬間的な左右バランスの崩しなんですと教わったこともあったな~。

それは相手の自然反応(反力)をも計算されたものであった。 武道に唯一の正解も終わりもない。

しかし、そんなギリギリの闘いが出来るのは信頼できる(油断は出来ん)相手がいてこそだった。

だから互いに礼をする。

 

これが来たるディクロニウス文明の第九章であることを、私も地球人類も知る由もないのであった。